冬の山男と初めてのデートで
入浴中にふと夫との初デートのことを思い出していた。
冬の山形蔵王、ロープウェイで極寒の中地蔵の坊主頭を拝み、今はなきパン屋まるもでチャイを飲みピザを食べた。
まるもはこぢんまりとした暖かな店だった。
入ってすぐにカウンターとキッチンがあり、スパイスで煮込んだ鍋物や窯から出して冷ましてあるパンが並び、頭頂部が極端に短いおかっぱ、下半分は刈り上げの店主が「だよね〜」と女性客と話し込んでいた。夫を見て「あ〜、いらっしゃ〜い。なんにする〜??」。その距離の詰め方に戸惑い、どぎまぎとチャイを頼んだ。
外は寒すぎた。少しでも温かくカロリーの高そうなものを飲みたかった。店主はいやに慣れ慣れしいのだが「彼女?」とか下世話なことを聞いてこなくてホッとした。とて〜もピュアな話なのだが、まだ“告白”されていなかったのだ。
奥のテーブル席は空いていて、メキシカンな柄のタペストリーがかかっていたと思う。
いつも悪天候の冬の蔵王で、ようやく暖かな陽が射していた一瞬だった。
なんでだったか、二人でピザを食べたのち、しばらく私はその店に置いておかれた(当時のデートはこんなのばっかりだった)。
所在無い。カフェオレボウルみたいな大きい器で冷えてしまったチャイをちびちび飲んだ。一人でいるあいだに、我々の後から入ってきた賑やかなおばさまグループに「恋っていいわねぇ」とコソっと言われてびっくりした。他人にそんなこと言われる日が来るとは思っていなかった。そんなに恋してるツラなのか…、なのに置いてけぼりにされているこの状況が情けなくなっていた。
当時の夫はほぼ山にいた(というイメージである)。下界で全然会えない。てっきり硬派な山男なのだと思っていた。
およそ興味のなかった山に少しでも気持ちを向けようと必死だった。体感温度マイナス60℃の雪山なんて彼が相手でなければ即答で断るような行き先だった。しかし、当時はとにかく何でもいいから「山」に通じるものを一つでも多く掻き集めようと思っていた。共通の話題がまるでなかったのだ。
店内にマタギという漫画が平積みされていた。東北、山、しかしてマタギ。民俗学なら登山より興味ある。読んでみた。ほぼ読まないうちに奴が戻ってきた(どこ行ってんねん)。
勇気を出して話題に出した。こんな漫画があったよ、山形にはマタギ的な人っているのかな、今も熊を獲る人たちっているのかな、などなど。「いや〜、俺、熊とか殺すの無理なんだよな。人間のエゴでしょ。自然は自然のままであるべきだよ。マタギとか無理だな」。チーン。
今になればあほくさいが、当時は本当に必死だったのだ。
この正体不明の山男にどうすれば自分の存在を刻みつけてもらえるのか。
チャンスが少ないだけに、一回一回が本気の勝負だった。そして私はそういう勝負がめちゃくちゃヘタなのであった。
出稼ぎのこと
会話文が東北弁で注釈もなく、昔は全然読み進められなかった。
が、今。
すすす、すらすら読める〜。
脳内再生できる〜。
引っ越してきたときは会話の6割ほど意味不明だったのだが、一年経ちリスニング力も格段にアップ。朝日町の言葉は面白すぎるので、また詳述したい。
さて、なぜ『蟹工船』を読んでいるか。
昨秋青森に行ったとき、蟹工船で出稼ぎしていたというおじちゃんに話を伺う機会があった。至ってあっけらかんと当時の話をしてくださったが、喧嘩で死人は日常茶飯事、船上で亡くなった方は海に水葬、などなど信じられないような話が出る出る…。
そんな現代とは思えないような経験をした人が、
まだ元気に生きてて、
目の前で話をしている…!
ものすごい衝撃だった。
『蟹工船』は実は"本当に"本当の話なのかもしれない。しかもつい最近の。
ところで東北の農家のおじちゃんと話してみれば、若い頃は、冬の間出稼ぎに行くなんて当然のこと。みんな中学校や高校を出てすぐ、東京オリンピックラッシュの建設現場で土方をしたり、運送屋をやったり、お歳暮で忙しい郵便局で新巻鮭の仕分けをしたりと、11月から4月まで働き(場合によっては数年働き)、また春から地元に帰って農作業を手伝う。結婚するまでずーっとこの生活。
出稼ぎという言葉自体、昔のテレビドラマや物語の中でしか聞いたことがなかった。出稼ぎ、とかいうものをやってた人々が日本の遠いどこかには昔いたんだろうな、ぐらいの認識。
が、今やその出稼ぎ当事者たちが周囲にウヨウヨ(?)いる。当たり前なんだが、出稼ぎとは事実で、実際に今私の身の回りにいるこのおじちゃんたち含め、無数の本当の物語として存在していることを強烈に感じる。
山形に来なければ、出稼ぎは私にとっては、どうやら真実らしいけれども確かに存在したかは分からない遠い昔の話、でしかなかっただろう。
教科書に書いてあったことは事実だっただけでなく、無数の人々の人生の集合体だった。私は隣の家のおじいちゃん一人の人生の物語すら追えないが、そうした物語が身近にまだギリギリ残っている、ということがめちゃくちゃ面白い。
こうした瞬間がふと日々の生活に現れてくるのが、朝日町こんぺー暮らしの醍醐味であると思う。
おしゃべりの隙間にキラっと漏れ光る物語を、ホントはまだまだ覗き見したいんだなー。
また食べもののことか〜
今日の発見はコレ!
スーパーすずきにて発見!
このガチャポンの蓋みたいなやつを枝につけた団子に被せて彩る。
これ、食べられるらしい。
食感・味ともに謎。
パーティーのフォーチュンクッキーに使えないかな。
白菜高騰のこのご時世にスーパーすずきは2玉250円だった。すばらしい。食べ頃バナナ一房150円、ささみチーズカツ2つで250円だったよ。
-15度の朝日町ながら、どこか南国島気分を感じられる朝日町のゆるゆるスポットです。
YUTA「誰がこの投稿見るの」
愛のくるみ餅
食いしん坊の私にとって、各土地の食べものを満喫することはもはやライフワーク。
中でも山形の食文化は脱帽もの、かなりの衝撃を受けた。
今回は、こちらに来て最初に食べたごはんの紹介。山形のいちばん美味しいごはんはお店じゃなくて家庭にあるのだ(故に、住まないとなかなか食べられない)。
念願叶って、A子さんちで初ごはんを達成した冬のある日のこと。
この日のメニューは、ぜんまいの油炒め・麻婆豆腐・炊きたて新米・赤ネギとわかめの味噌汁・そしてくるみ餅。「なんにもねぇけどよ~、あるもんでつくった~」というA子さんのほんわか笑顔とりんごの薪ストーブにあったまりつつ、みんなで晩ごはんタイムです。
ぜんまいの油炒め:
春に収穫して干しておいた(あるいは塩漬けした)ぜんまいを戻し、油と醤油で炒め煮にしたもの。油で炒めるっていうのが絶妙。そもそも四国~東京でぜんまいなんてほとんど食べたことなかった。あっても中国産の水煮だよね??
さらっと"ぜんまいを戻す"などと書いてあるが、これめっちゃくちゃ時間がかかる。一晩ぐらい、何度も何度も水を替えながらうるかす※。
麻婆豆腐:
美味しかったのでレシピを聞いて、まったく同じ材料使ったのに再現できなかった謎の料理。ごま油とにんにくとひき肉と豆腐とめんつゆと片栗粉で作るお手軽メニュー。
炊きたて新米:
こんペーの田んぼで丁寧に育てられ、杭掛けで天日干ししたはえぬき。
赤ネギとわかめの味噌汁:
A子さんが畑で大事に育てた赤ネギ(根元が赤い在来野菜)。甘くて旨いのよ~。
くるみ餅:
何といってもこれがすごい。餅に味噌とくるみを混ぜたくるみ味噌餅を作り、すりつぶしたくるみを伸ばした餡をかけた一品。口に届くまで、気が遠くなるような手間がかかっている。
まず餅米がこんペー産。前年の収穫分から種籾を取っておいて、春は育苗して田植え、夏には草刈って秋に収穫。その後杭掛け、脱穀、精米、浸水、蒸してついてやっと餅に。
くるみは秋に山に行って拾い、うるかした後洗って果肉を落とし、種を炒り、一個一個割り、ほじって中身(仁)を出し、ようやくすり鉢いっぱい集めてすりつぶし、先ほどの餅に混ぜて、やーっとくるみ餅に…。うひょ~~~~
A子さんは「なんにもねぇけどよ~」と言うけど、否。
一食の晩ごはんに一年間の手間ひまと、食べる人を思う愛がめちゃくちゃ詰まっている。めっちゃおいしいんです。
これまで、色々なものを食べてきたけど、こんーーなにも手間のかかったごはんを食べたことはなかった。この一食のために、調理だけでいったい何時間かかってるんだろうか。しかもこれが、「なんにもねぇ」ときの普通の晩ごはん(厳密にはお餅はちょっと特別だけど、これはまた今度)。衝撃、感激、というか絶句…。
この一食ですっかり山形の暮らしに心奪われてしまい、冬の毎日も頑張れると思ったのだった。山形ごはん、またレポートします。
※余談だが、こちらの方言に「うるかす」というのがある。="たっぷりの水に浸けてしばらく置いておく"、みたいな意味の言葉。詳しく調べたわけではないけど、思うに山形の食べものには「うるかさ」ないといけないものが多すぎるのでこの言葉が生まれたのではないか。塩漬けのわらび、干したぜんまい、青菜漬、干したあけびの皮、凍み大根。いずれも冬の保存食。本当に山形の食文化に特化した言葉だなぁと思う。なお、セットで「すだらかす」="ひたひたになったもの・濡れたものを、かごやざるなどにあけて放置し水を切る"という意味の言葉もある。