出稼ぎのこと
会話文が東北弁で注釈もなく、昔は全然読み進められなかった。
が、今。
すすす、すらすら読める〜。
脳内再生できる〜。
引っ越してきたときは会話の6割ほど意味不明だったのだが、一年経ちリスニング力も格段にアップ。朝日町の言葉は面白すぎるので、また詳述したい。
さて、なぜ『蟹工船』を読んでいるか。
昨秋青森に行ったとき、蟹工船で出稼ぎしていたというおじちゃんに話を伺う機会があった。至ってあっけらかんと当時の話をしてくださったが、喧嘩で死人は日常茶飯事、船上で亡くなった方は海に水葬、などなど信じられないような話が出る出る…。
そんな現代とは思えないような経験をした人が、
まだ元気に生きてて、
目の前で話をしている…!
ものすごい衝撃だった。
『蟹工船』は実は"本当に"本当の話なのかもしれない。しかもつい最近の。
ところで東北の農家のおじちゃんと話してみれば、若い頃は、冬の間出稼ぎに行くなんて当然のこと。みんな中学校や高校を出てすぐ、東京オリンピックラッシュの建設現場で土方をしたり、運送屋をやったり、お歳暮で忙しい郵便局で新巻鮭の仕分けをしたりと、11月から4月まで働き(場合によっては数年働き)、また春から地元に帰って農作業を手伝う。結婚するまでずーっとこの生活。
出稼ぎという言葉自体、昔のテレビドラマや物語の中でしか聞いたことがなかった。出稼ぎ、とかいうものをやってた人々が日本の遠いどこかには昔いたんだろうな、ぐらいの認識。
が、今やその出稼ぎ当事者たちが周囲にウヨウヨ(?)いる。当たり前なんだが、出稼ぎとは事実で、実際に今私の身の回りにいるこのおじちゃんたち含め、無数の本当の物語として存在していることを強烈に感じる。
山形に来なければ、出稼ぎは私にとっては、どうやら真実らしいけれども確かに存在したかは分からない遠い昔の話、でしかなかっただろう。
教科書に書いてあったことは事実だっただけでなく、無数の人々の人生の集合体だった。私は隣の家のおじいちゃん一人の人生の物語すら追えないが、そうした物語が身近にまだギリギリ残っている、ということがめちゃくちゃ面白い。
こうした瞬間がふと日々の生活に現れてくるのが、朝日町こんぺー暮らしの醍醐味であると思う。
おしゃべりの隙間にキラっと漏れ光る物語を、ホントはまだまだ覗き見したいんだなー。